Pray For NIPPON 〜ニッポンのために祈ろう〜

3月11日、三陸沖で発生したM9.0の超巨大地震。今、わたしたちにできることは何なのでしょうか?
イラスト
稲 垣
その日、僕はその時を北陸自動車道下り線の黒崎パーキングエリアで経験しました。感覚的には5分以上、ゆったりとした揺れ方から震源は近くないと直感したと同時に、震源地は大変な地震のはずだとすぐに車載のテレビを点けました。正直言わせていただくと東海地震か?と思っていました。けれど目に飛び込んできたのは東北地方。僕の息子も福島県郡山に居ます。郡山が震度6強。何度か電話やメールで連絡を試みましたが、当然のように連絡は不可能でした。僕は特に非常時は、あれこれ悩むならまず行動したほうがいいと思っていましたので、スマートインターを下りてUターンし、すぐに郡山に向いました。津川から先の磐越自動車道は通行止め。
 一般道で片道6時間。実は安田インターで一度高速を下りて近くにあったコンビニのおにぎりや水をどっさり買い込んでいる間、息子と連絡が取れて無事を確認はいたしました。が、……会津あたりで渋滞に巻き込まれている中、あっちから消防車、こっちから救急車、町中に鳴り響くありとあらゆるサイレンの音。そして終わることのない余震。会津でこの状態なら郡山は?海沿いは?背筋が寒くなりました。
 車中で聞いていたFM福島の男性パーソナリティが叫びに近い声で、『家も大切です。もっと大切な物もあるかもしれない。けれど海には絶対に近付かないでください。今は、今日だけはあなたの命を一番大切にしてください。あなたの帰りを待っているご家族が居ます』。何度も何度もそう繰り返していました。不覚にも、息子の無事を確認しているはずなのに、町中の緊張感とラジオから流れる被害の様子に涙が止まらない。早く郡山に行かなきゃって。
編集部
そうですか……そう話しておられる間にも涙目になる稲垣さんを見ると、現場の緊張感と、ご心配が手に取るようにわかります。
稲 垣
日本に居る限りいつ、どこで地震に遭遇するかはわかりません。正式に命名されたその地震の名は、東北地方太平洋沖地震。けれど関東にも甚大な被害があるので各報道では東日本大震災と呼んでいるのではないかと思っています。発生確率が1000年以上に一回というM9.0の超巨大地震。亡くなった方と行方不明の方を合わせると3万人に届きそうな勢いです。それに加えて福島第一原子力発電所の事故で地震と津波被害の復興もままならない地域があります。被災経験者で、隣県で、そして同じ時代を生きる日本人として、たった今、僕等には何が出来るんでしょう。何をしなければいけないのでしょう。毎日毎日、僕はここに居ていいんだろうかと考えています。
 M8以上の地震が起きる可能性がある場所は地球上でも限定されているのだそうです。断層の長さ200km以上、断層のずれが数メートル。こんな地震が起きる可能性がある何箇所かの地球上の地点の内、半数以上が日本周辺です。僕らはそこに住んでいる。1000年ぶりなのか2000年ぶりなのかは関係ありません。

建築に携わる人間としての無力感

稲 垣
僕たちは中越地震も中越沖地震も乗り越えました。不謹慎を覚悟で言わせていただければ2度の震災を乗り越えた僕や皆さんでさえも、今回の大震災を同じレベルでは考えられないはずです。建築屋としても、地震には耐えたとしても木造住宅があんなにあっさりと津波によって木っ端微塵になる映像は非常にショックです。無力感で一杯です。自分が経験した2度の地震の遥か以前から、建築に携わる人間にとって一番の責務は「建物で人を殺さない」ことだと思っていました。だからこそ住宅の耐震性はなにより大切。間取りだとか価格だとか、耐震性以外のことは等しく2番目に大切なことだと思っていたし、そう言い続けてきました。 
 今回の大震災で亡くなられた方の多くは溺死だそうです。建物が人を押しつぶして亡くなった方は少ないのではないかということです。が、やはりいとも簡単に流される住宅を見ると唖然……と言いますか、表現しきれない切なさがこみ上げます。
編集部
稲垣さんはずっと前から耐震性の重要性をしつこいくらい言ってこられましたから、なおさら津波での被害映像はショッキングなんでしょうね。僕も大変不謹慎ですが、田んぼや家や車を飲み込みながら上ってくる津波の映像が未だにCGに見えて仕方ありません。もしかしたら現実だと受け止めることが嫌なのかもしれません。僕なんかが現実として受け止められないなら被災した方々はなおさらですよね。僕は今、家以外で食べる食事の時に450円のラーメンだったとしても、稲垣さんのお知り合いが始めていられるという、"一食1000円だったつもり"募金をしています。今の僕にはそんなことしか出来ません。今回の地震で住宅業界も大変なことになっていると伺いましたが?
稲 垣
東北地方には大きな合板工場がいくつかありました。その内半数は操業不能です。工場自体が津波に流されてなくなってしまった。従業員の方も行方不明の方が多数いらっしゃると聞きます。工場再開の目途さえ立たないキッチンメーカー。シェアナンバーワンだった外壁メーカーも操業不能。エコキュートに至っては、ほぼすべてのメーカーが出荷停止。震災前から不足だった断熱材のメーカー2社が生産不能。他にも様々です。住宅業界には大打撃となる可能性が心配されています。が、今は被災地を想いましょう。
今回の大震災で僕は応急危険度判定も被災度判定も、ましてや住宅相談窓口にも立っていません。すごくジレンマがあります。被災した方々のために、被災地のために、僕に出来ることはないんだろうかと。建築屋としてお手伝いできないのなら、人としてお手伝いできることはないのか。節電、募金、買い控えだけでいいのだろうかと。編集さん、僕は被災地に迷惑にならない時期を見定めて、仲間を集めて被災地に行こうと思っています。猫の手よりも少しでも役に立つなら、僕が居ないより、居たほうがほんの少しでも役に立つならなんでもやらせてもらおうと思っています。一緒に行きませんか?
編集部
はい。是非。声掛けてくれなかったら恨みますからね。
稲 垣
地震当日、一緒に帰ろうという僕に、息子は「青森や岩手、宮城、茨城の仲間が動けずに居るのに俺だけ郡山を離れられない」と言いました。納得しました。一人で真夜中の福島と新潟の県境に差し掛かった時、途切れ途切れの電波の向こう側で、FM福島の男性パーソナリティは、ずっと叫びに似た声で繰り返していました。
『家も……す。もっ……あるかもしれない。けれ……に近付かないでください。今は、今日だけはあなたの命を一番大切に……ください。……の帰りを……いるご家族が居ます』。変わらぬ想いで叫び続けていました。

Pray For JAPANではなくPray For NIPPON。ニッポンのために祈ろう。けれど、祈っているだけでは何も進まない。唯一祈るのは、どうか負けないでください。と言う想い。がんばれニッポンではなく、がんばろうニッポン。何千年に一度かどうかなんかよくわからないけれど、たまたまその何千年に一度と言うタイミングで、この日本で同じ時間を生きている同じ人間としての僕の想い、日本中、世界中の皆さんの想いは被災した方々の心に常に寄り添います。

がんばろう東北。がんばろうニッポン。