風のあやぐ

今回は、このコーナーではあまり触れられていなかった 2世帯住宅がテーマです。その理由とは……。
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ル・コルビジェの言葉の本意

近代建築の三大巨匠といえばフランク・ロイド・ライト、ル・コルビジェ、ミース・ファン・デル・ローエ。近代と言っても前世紀でお亡くなりなのですが、現代の建築においても多大なる影響を与えていると思います。その中でもル・コルビジェの 「住宅は住むための機械である」 という、建築を学んだ者であれば誰もが知っている有名な言葉があります。
 その言葉の本意はどこにあったのか僕の様な凡人には想像さえもできませんが、コルビジェについての書籍を読むと、三大巨匠の中でも最も狂信的な人物だったのがコルビジェだったそうです。空を飛ぶための機械が飛行機であるように、住むための機械は住宅。で、その技術的な必要条件も飛行機と同じやり方で探求されるべきであるというコルビジェの主張まで知ってしまうと、僕のように泥臭い人間は多少の違和感を持ちます。
 コルビジェの作品で、あまりにも有名な「サヴォア邸」という、フランスのパリ郊外に建つ個人の邸宅が現存します。現在の日本の新しい住宅団地に持ってきてもまったく古臭さは感じないはず……それどころかもっとも斬新で今のニーズに合致した住宅だと思います。完成は1930年代なのに。確かに機能的で余計な装飾は削り取られた建物なのですが、機械には到底見えない。それどころか自然の一部として、または自然を建物に引き込んで居るように感じます(あくまでも僕の主観ですが)。機械という言葉から受ける冷たい感じは微塵も受けません。
 陽の光や風をも“技術的な必要条件”と巨匠は考えたのかもしれませんが、僕は単純に、「この家、気持ちよさそうだな」と思えるんです。だからなおさら、「住宅は住むための機械である」という、ある意味ぶっきらぼうで無機質な言葉の本意がよくわからない。大巨匠が“機械”という言葉で住まいをスタイリッシュに表現したかったとしても、住まいに人間の泥臭い部分や精神性を内包することを否定したとは思えないのです。
この言葉の意味は諸説唱える方々が居られるのは確かですが、少なくとも文字をそのままの字面では解釈できないように思います。まぁ、コルビジェという大巨匠が何を考えて建築を作っていたかなんて、僕なんかではまったく想像もつきませんけど。


住まいは誰のためのものか?

さて、平均以下の凡人が巨匠を語るのはこれくらいにして(笑)。なぜコルビジェの言葉を引用したかといいますと最近、間取りを考えたり新しいことを考えている際に、住まいって極論で言うと何なんだろう、何のために、誰のためのものなんだろうと考える機会がありました。恐らく様々な建築屋さん、設計屋さんにその答えを問うても答えは千差万別でしょう。建築や設計を生業としている人間に「住まいとは?」と聞いても色んな答えがあるように、一般の方に「あなたにとって住まいとは?」と訊ねても様々な答えが返ってくるはずです。当然ですよね。住まいをどう捉えるのかは人それぞれで思い入れも違うし、住まいの価値は人それぞれの尺度があると思いますから。中には、雨露をしのげさえすればそれでいい。だから一生賃貸住宅で構わないという方もいらっしゃるでしょうし、住まいは人生そのものって言い切れる筋金入りの思い入れ派の方もいらっしゃいます。僕が出合った一番強烈な方は、某大手ハウスメーカー以外の家は、家ではなく小屋だと言い放つ方。ずいぶん前の話ですがあまりに妄信的で背筋が寒くなった覚えがあります(笑)。ま、この二つは極端な例ですけどね。
 僕のような平均以下の凡人には「住まいとは」などと格言めいたまとめはできませんが、以前にこの紙面上で書いたこともあることで、ひとつだけ揺るがない信念があります。住まいの存在意義とかの難しいことはわからないけれど、住まいは誰のためのものか……。
僕は以前から、住まいはそこに住まう女性のためのものとの考えをお伝えしてきました。
女性ってからには小さな娘さんまで含みます。女の子はお母さんの手伝いや立ち居振る舞いを見て社会性や家族性を学んでいくものだと思ってますから。
けれどやはり主役はそこに住まうお母さん。お母さんが笑っていられなければ住まいが笑いで満たされることはあり得ない。
お母さんが笑っていなければ子どもさんは笑えない。子どもさんが笑えなければお父さんも笑えない。だからお母さんが始まり。少し乱暴な言い方を許していただけるなら、その家のお母さんが満足できる家であればそれだけでその家は満点なんだとさえ思います。
では、お母さんが満足できる家というのはどういった家なのでしょう?  家事動線、収納、断熱性、設備機器、掃除のしやすさ……基本、女性のほうが欲張りだと思うので(失礼・笑)、ご希望をお伺いしていけば膨大なものになります。
もちろん、お母さんに満足していただくにはそういったハードな部分の満足度も必要なんでしょうね。僕が今思っていることを話したり、ましてや文字でお伝えするのは非常に難しいです。ある意味つかみどころのない精神性の話しになりますから。僕は住まいにハード面も必要なことは認めつつ、その家のお母さんがホッとできる空間を造りたい。
母として、妻として、場合によっては嫁として24時間365日、役目を代えながら忙しくされているお母さんに心からホッとできる住まいを造りたい。それは、先ほどのハードな部分も当然含まれるでしょうし、風の通り方や陽の入り具合まで関係してくるかもしれない。
色ひとつでも変わってしまうかもしれない。やはり文字では言いたいことの半分も伝わりませんね……。住まいはそこに住まう方を現すものだと思っています。
だからその家のお母さんの家を造りたいと思っています。
優しく、強く、凛とした僕は母のような、母親のような家を作りたいと思いました。

来春、新モデルハウスがオープン

以前にも『陽と風のあやぐ』というタイトルで私どもの前「古正寺モデルハウス」を紹介させていただきました。この家のタイトルは『陽の光と風が織り成す美しい言葉』という意味合いでした。モデルハウスという成り立ち上、お客様はいらっしゃらないわけで、わりと好き勝手に造らせていただいたわけです。
その前モデルハウス売却から数ヵ月、少し先の話ですが、来春、2棟目の「古正寺モデルハウス」をオープンいたします。
コンセプト的には前モデルハウスと同じ『光と風の美しい唄』です。
そこで僕が持っている母親像を表現したいと思っています。